上村遼太君のこと

この中坊の小さな小さな命をなぜ大人たちは救えなかったのだろうか。
この事件を知ってから2つのことを思い出した。
一つは自分の中一の時のこと。
私が入った中学は当時水泳で評判だった。
(当時としては珍しい浄化装置付き循環式プール)
金田先生というカリスマ的指導者の元へ越境入学してまで通う子供も多数いた。
4年先輩には相撲で大関までなった花田満がいた、その前年花田は中学水泳選手権バタフライで日本一になっていた。
とても同じ中学生とは思えない、大きなガラの悪い水泳部の上級生、同級生がわんさかいた。
ある日体育館の裏へ呼び出された、おまえ生意気だといきなり殴られた。
初めて体験する心臓がバクバク足がガタガタだった。
タダでもかまえない性格なのにいきなりの出来事だった、この時はもちろん親になんか言えない。
逆になんでやり返さないんだ、などと言われかねないし、おふくろなら学校へ怒鳴りこむなど朝飯前だ。
なんたって関東大震災第二次世界大戦をくぐりぬけてきている。
もっとややこしくなりそうだと子供心に考えたのかもしれない。
周りもうすうす知ってはいる。
そしてある日家の近くで同じグループの一人に呼びとめられた。
その時点ではなにもおきてはいない。
すると土間から”おい博どうした?”と声がした。
振り返ると国士舘高校の制服を着た”せいちゃん”という近所のガキ大将だった。
(当時国士舘といえば泣く子も黙るほどの悪名高き学校だった。)
呼びとめた方の上級生は”熊谷君明日学校で”などと後ずさりして帰っていった。
後で聞いたところによるとその日みんなで待っていてリンチしようということだったらしい。
ところが制服をきたせいちゃんを見て又そのことを報告して急遽解散になったらしい。
銭湯ぼたん湯で刺青した近所の兄さんが”博背中あらってやらー”などといった時代だった。
(戦後まだ間もない高度成長の時代、まだまだ生きのいい労働者が一杯いた。)
また薛(せつ)という台湾籍の子といつも一緒に風呂へ行っていた時期がある。
私はチンチンを股の下に隠し”おんな、女ほら見て見て”などとふざけていた。
(まだ小5の頃か?)
周りの大人は何も言わずにニヤニヤしていたのだろう。
ところがあくる日薛君の母親が飛び込んできて”そんなませたことをふろでやるな!”と一喝されてしまった。
大人がいて大目にみてくれ、それで危ない所を渡りきり、やっと大人になったような気がしている。
もうひとつは山口で妻を強姦されそして幼子までをもを失った事件の男性。
彼は激昂していて”犯人を見つけ出し同じ苦しみを味わわせて、その上で刑に服する”と言ってマスコミから叩かれた。
持って行きようのない怒りや悲しみを、どうやって処理していいのか分からなかったのだろう。
おそらくは私も同じようなことを言うとおもう。
理不尽なことにより落とさなくていい命を落とされて、おとなは何をしてたのか。
遼太君には私の近所の”せいちゃん”的人がいなかった。
昔はそこいらじゅうに暗がりがあり、人気のない空き地などが一杯あった。
今の子供達は遊ぶ場所もなければ、身を隠す処もない。
たいがいの行動が白日のもとへさらされている。
なのに何もしてあげられない。
大人は一体なにをしている。
合掌!