更新

うわーっ
一月もほったらかしだったのか!
年末年始のあわただしさにかまけておりました
引っ越しに伴う諸々のことに疲れてしまったのかもしれません
アナログを含むメールのやり取りをしているうちに、訳が分からなくなってしまった
それ以外は相変わらずベース担いであっちこっち
年末に荻窪の古本屋で見つけた”カザルスとの対話”を購入し読んでいる
伝説のバッハ無伴奏チェロ組曲の譜面をバルセロナで発見した
14.5才の時である、この本によると世に出すまで12年間研究したとある
チェロ奏者としても人気があったため、大変な努力をしたんだろうと推測する
カザルスの名を世界中に知らしめた
バッハ無伴奏チェロ組曲
読書のBGMはかれの演奏のバッハのCD
このCDは数年前ツアーで空き日に愛媛県今治に数日滞在したときに近くのスーパーでゲットしたもの
(本来の目的は溜まってしまった洗濯物の処理のためにコインランドリーに行って、言わば洗濯待ちの暇つぶしにTOWER RECORDで偶然見つけた)
10枚組パブロカザルスがたしか2千円だった
CDケースに書かれている生没年のミスプリントの為安売りしていたもの
1973没が1873没となっている
まだエジソンの録音は発明されていない(1877)
たまにこうしてアカデミックなことに触れるのは小さな喜びである
好きなこと或いは好きな人とめくるめくときを過ごせるのは大きな喜びであるが、例え恋人といえども時には、やいば(刃)を向けてくることもある
しかし全部ひっくるめて自分を成長させてくれると思いたい
私は今まで通り出来ることを自分に忠実にするだけだ!
ない袖は振れない
無いないずくしはわかっている
しかし自分だけには嘘は通用しない
だからせめても誠実に音楽に取組みたい
誰が何と言おうとも
今週は歌伴(土浦)、ライブ(JJ)、水樹レイさんのBIRTH DAY LIVE

クラプトン

クラプトンと言えば杉高3バカのI君のことを思い出す
I君は中村とうよう、にもクラプトンにもどことなく似ている
(若い頃のクラプトンではなく今のクラプトン)
吉祥寺の古い映画館へ行ってきた
客もまばらで(私にとっては良)どこへ座っても良いという
印象に残ったのは二つ
一つはジョージハリソンの妻パテイーボイドとのこと
(当時から人妻を寝取ったと評判だった)
散々ドラッグ、アルコール依存なりながらも、彼女が離婚してやって来たとたんに、イタリアで恋に落ち次の女に進んでしまう
(たしかにパテイーボイドは美しくスタイルも抜群だった、クラプトンでなくても長い間見つめてしまうだろう)
レイラという名曲はパテイーを思ってのありったけの叫びだったはず
(パテイーに関する部分がだいぶ長いが、ほかに映像がなかったのかもしれない)
映画の大半を費やすパテイーとのことであるのに、さっぱりと次の女へと行ってしまう
二つ目は
B.B.KINGとのこと
私はB.B.KINGの前でBLUESのGUITR SOLOを弾いてボロボロになったクラプトンを見たことがある
(今でもYOUTUBE見られるかもしれない)
散々コピーしたB.Bのフレーズを本人の前で弾けなくなってしまっってミストーンした
と思い込んでいた
その後クラプトンが金を出し二人のPVを作りある種の埋め合わせをしたんだと考えていた
しかしB.Bの方ではクラプトンが黒人BLUESの扉を開いてくれて世界中に演奏しに行くことができるようになった
(ここからが若干歯が浮くようだが)
90か国を回り各国の王、や女王にも会った
その中でも一番尊敬できるのがクラプトンであり、わたしの親友だ
と、ギターフェスティバルのステージで観客のブーイングを制して、B.Bは言った
そーかブルースマンたちはクラプトンに感謝していたんだ
ちなみに
クラプトンは世界の一流のMUSICIANとバンドを作りたいとも言っていた
STEVE GADDを使っているのはそういうことだったんだ
しかしクラプトンさん貴方の音楽には合いませんよ
反クラプトンを自覚していた私だが目頭を熱くして帰ってきました
今から立川へフル装備で行きます
エレキベース
毎年呼んでくれるデイナーショウ
一年ぶりで会うひともたくさんいる
たのしみだ
昨日武蔵小金井で映画帰りにコーヒー豆焙煎専門店を見つけ
小金井ブレンドを買ってきた
フレッシュなマイルドな深い味のコーヒー
これから通いそうだ

気になる

気になる映画が二つある
QUEENボヘミアンラプソディーとERIC CLAPTON 12小節の人生
QUEENの方は役者を使っての映画、CLAPTONの方はドキュメンタリー
12小説とはブルースのこと
アメリカ黒人が3行詩を作り1行4小節をかけて3コードで歌った曲形態
CLAPTONはブルースに影響を受けた、特に近代ブルースのギターにはまった
その代表がB,B,KING
現在私の周囲でBLUESをやることは皆無だが(ジャズのBLUESはやるが)昔はよく聞いたし、やりもした
阿佐ヶ谷にBLUES専門の小さなライブハウスがあったが、まだやっているのか?
CLPTONはJIMMY PAGE,JEFF BECKと並ぶイギリス3大ギタリスト
世界中を駆け回ったROCKだが、有名どころはみなイギリス人
さらに言えばQUEENのBRIAN MEYを加えればみなイギリス
忘年会シーズン前に要チェックかな

ほくとぴあ

王子にある北とぴあまで行ってきました
ウッドベースでの指定
大音量の中でのウッドベースを弾くのは大変です
イタリア女ではダメだとPRODECER
音より絵面重視だそうで
しかし生音を録らないのならウッドでなくても?
まあいやなら仕事断わればいいだけなんだが
どんな仕事でも個人で練習するよりも百倍修練になるわけで
そんなこんなでウッドベース弾いてきました
東京生まれ、東京育ちの私ですがこっち方面はとんと来ない
王子、赤羽、十条あたりはいい飲み屋がいまでもわんさかあるが
昔は怖いイメージがつよかったなー
近くの飛鳥山公園徳川吉宗が江戸っ子の憩いの場として桜の名所にしたそうな

知り合いが4百冊を超える本を処分するという
20冊ほどもらってきた
定番の司馬遼から普段あまり読まないファンタジー浅田次郎宮部みゆき、はたまた
いままで読まなかった五輪の書、や売れに売れている池井戸潤まで
先日の赤坂トナリテ
ALL THE THINGS YOU ARE 袴塚のイントロがイイ感じで終わり弾き且つ歌い始めた
ベースの音が出ない1コーラス歌だけに
又かと思い電池を交換
まだ出ない異変を察知した二郎さんがソロをしに来てくれた
袴塚のアドリブも終わり
まだ出ない
締めのコーラスもベースレス
歌だけに集中して
脂汗出ました
もしかしたらまた充電式9V電池が寿命か?

上野広小路

上野広小路へ行ってきた
中央通りの池側の東西に広がる飲み屋街
まるでどこかの東南アジアの街のよう
神田までは経験があるがここは人生初めて
思えば御徒町とは明治維新の頃日本全国から集まったオカチ(足軽)が集まって出来た町
江戸城無血開城したために用の無くなった徒が街を形成した
その御徒町から北へ少し行くと上野広小路の交差点その上野に向かって左側が広大な飲み屋街
銀座、赤坂、六本木、新宿などはよく行くが何処も人は少ない
ココだけは別天地
久し振りに帰りのことなど気にしなくてよいと思える街に出会った
エレキベースもまた楽し
ピアニストの佐山雅弘が亡くなった
64才だった
何度か一緒に演奏する機会があったが
美しいタッチ、スピーデイ〜なフレージング、そしてアヴァンギャルドな一面も
私はタイム5やMUSIC MAGIC ORCHESTRAなどでその”うまさ”にシビレタ
初見の譜面でもリピートまえは正確にリピート後は両手でユニゾンで弾いた
時には、音楽を自分の方へと引っ張り込んでいくという力業も
ユーモアを持ち合わせた素晴らしいピアニストだった
合掌

お越し頂きありがとうございました

赤坂ビーフラットにたくさんの入場ありがとうございました。
当日初見の譜面が数曲ありリハーサルもいつになく長くやり本番へ準備してました
人生で初めてやるという曲もありなかなかの緊張感です
それはJOHN COLTRANE の”MOMENT NOTICE”
早い上に複雑なコード進行とキメを併せ持つ難解な曲
フロントの5人が2コーラスずつ2回ソロを繰り返すと打ち合わせで確認していた
その通りに進んだが途中私のイタリア女のプリアンプの電池が切れた
楽器を置いてケースまで行き交換し何とか2コーラスで復帰できた
(内心ひやひやもんだった)
私もかなり調子が良かったのでいいプレイが出来てホットした
皆さんからお褒めの言葉も頂き疲れも吹っ飛びました
私のプレイを一番見てくれているKAZK君が”クマこのバンドイイねー”と言ってくれた
なんせ生楽器のアンサンブルは贅沢なのです
それぞれスタジオでも活躍していたメンバーで、なかでも2ND TENORの斎藤さんは昔から知っている
私がユイ音楽工房で数人の歌手の仕事をしている頃、リサイタルというと必ず一緒になった
向こうはTP 数原 TB チャンピオン TS  斎藤 清必ずこの3人がどこでもいた
眩しいスタジオ ミュージシャンだった
そしてとてつもなく上手かった
今でも素晴らしいのがもっとすごい
またの機会を楽しみにしています
ありがとうございました!