所沢

昨日所沢ミューズで仕事。
国分寺で西武国分寺線に乗り換え、東村山乗り換えて航空公園へ。
西武国分寺線に乗っていたら急に思い出した。
高校生の時、母の知り合いの所沢駅前の八百屋でアルバイトしていた。
ほぼ精神的ホモ関係にあったS君と一緒だった。
私はその頃初恋も経験していて、しかもS君という大事な友人ができ、まさに青春真っ最中だった。
おそらく高校生活も後半だっただろう。
前半は私が陸上、S君は剣道でそれぞれ部活。
帰り道阿佐ヶ谷の好味屋で、お互いのポケットから有り金を出し合って食べていた。
そして幼馴染みの真ちゃんとS君とでバンドも組んでいた。当然BEATLESコピーバンド
須賀神社の境内の櫓の上で演奏したこともあった。
それらが一段落した後だと思う。
バンド活動は真ちゃんが彼女に夢中になったので解散状態だった。
そして周囲は学内デモやら盛んで、進路を考えたり、S君とも将来について語ったりした。
(結局S君は卒業後料理人の道を進む、最初は松本楼だった、その後オーナーシェフになった。)
S君は当時武蔵境に住んでいて所沢なら比較的近いし、新宿などでバイトするより親も安心だったらしい。
八百屋でのアルバイトは若い男の子が二人いて活気があると評判だったと、後に母から聞いた。
そういえば誰もいないのに大きな声で”ハイ並んで並んで、ハイいらっしゃい”などとやっていると、すぐに混み始めた記憶がある。
頭も回転が速く暗算で合計金額を伝え、お客が納得するまで次の客の注文と金のやりとりをするという感じだった。
そうそう天井からつるされた籠にお金を入れていたなぁ。
あまりの暗算の正確さに客も慣れ、納得するまで計算する人もいなくなった。
その帰り道、廃棄寸前の野菜や果物をいつもくれた、持って帰れと。
S君と西武線の窓を開け、腐りそうなものをどんどん周りの空き地に投げ入れた。
(この頃玉葱やジャガイモの腐ったにおいを初めて知った。
ダンボールに入っているそれらを陳列する時に手がぬるっとする。
それはひどい匂いだった。)
たぶん笑っていたんだろうと思う、楽しさがよみがえる。
今では沿線も家が立ち並びあの頃の面影もない。
仕事を終え再び西武線に乗った。
うそでしょというくらい混んでいた。
たぶん時間も当時と同じくらいで、あんなまねはもうできないなぁと。
そういえば、昨日のマーキーホールはまるでヨーロッパのオペラ劇場のようだった。