佐村河内守考

音楽が巨大産業になったのは、エジソンが録音技術を発明してからだ。
当初SP(SHORT PLAYING) レコード78回転だったのが、LP(LONG PLAYING)レコード33回転になり、EP盤、ドーナッツ盤はたまたソノシート盤まで出現。
第二次世界大戦前1940年代アメリカ、ミュージシャンユニオンでは1曲3分以上の演奏を認めていなかった。
LPの誕生とともにその縛りも取れ、まさにLONG PLAYINGが可能になった。
クラッシック、ジャズ、カントリー、ヒルビリー、ロカビリー、といった音楽からさまざまな音楽が生まれていった。
黒人音楽の持つエネルギーを取りこんだエルビスプレスリーが南部から出、黒人白人南北の融合が生まれていった。
50’などと今でもよばれている、ポニーテールに広がりスカートでイメージする軽快なポップスでビッグセールスを記録。
(その後ドーナッツ盤だけを集めたジュークボックスなども出現し、その周りでツウィストを踊る若者たちもいた。)
その当時からレコードメーカーとマスコミがタイアップしてヒットを作りあげてきた。
キャッチフレーズを作り、歌手に合わせたコンセプトを決め、それに合う曲調と歌詞を発注する。
(一時問題になった森進一と川内康範との著作権トラブル。
確かに作ったのは川内氏だが”おふくろさん”は誰の歌かというと、まぎれもなく森進一の歌と認識している。)
そのようにして、売ることに、売れることにのみ意識して、レコード会社とマスコミはずっと共犯関係にあった。
一方1940年代のアメリカの音楽は今聞いても素晴らしい。
ビート、ピッチ、バランス、構成などとてもいい。当時からとても高い水準だった。
アメリカにおいては素材がいいのは当然のこととして考えられている。
そうやってどんどん巨大化し売れたものには権威ずけをしていった。
グラミー賞など、日本ではレコード大賞など)
売れたものはすべて素晴らしい、という扱いかただ。
権力をもった人々ができ、業界へ顔のきく人がはばをきかせ始めた。
これは聞いた話だが、あるオーディションにいった人に”ARE YOU JEWISH? ARE YOU HOMO"
ノ―といえばまず仕事はないと。
例えば、ミックジャガーとアンディーウオホールは一目惚れどうしだった、マーカスミラーがオーディションにいったスタジオにはマイルスひとりだけいた、その後のマーカスはマイルスのプロデュ―サーとしてクレジットされるようになる。
カエタ―ノヴェローソとそのストリングスアレンジをすべてしていたジャックモレレムバームの関係、バンド”STUFF”を作った黒人ベーシストのゴードンエドワーズとピアニストのリチャードティーは、ステージ上でウィンクしあっていたのを私は見た。
(あの大きな体に太い腕、その顔はアイシャドウを使っていた。)
そういうエネルギーを抱えて強い欲望を持った人々の集団が音楽業界だ。
現代のヴェート―ヴェン、被曝二世であり全聾のとすごいキャッチフレーズを考え、作品を作り続けた。
こういう場合マスコミはすぐに終息しだんまりを決め込む。
コピーライターの考えたフレーズでHIROSHIMAという作品は18万枚売れた。
(輸入ジャズレコードが1000枚売れると大ヒットと言われていた)
ネットで見ると税別¥3200とある、この”HIROSHIMA"だけで6億弱の売上。
著作権は一流作家で一割と聞いたことがある。
5%としても3千万、ゴーストライターさんは18年間で700万受け取ったときいた。
週間文春の記事はいくらで売ったのだろうか。
昨年の暮れバックコーラスの歌姫たち(邦題)と言う映画は、実力はあるがソロで成功しなかった歌手達のとてもいいはなしだった。
以上のことが、この事件でうかんできた断片である。
ゴーストライター氏はまだ暴露するつもりらしい。
文春もその売れるものを作っただけの肩棒を担ぎ続ける。