伊豆下田

伊豆下田へ行ってきた。
もちろん仕事。
高校の同級生が西伊豆の雲見の代々領主で、そこにまるでお寺のような大きな100年は経つという家がある。
そのため毎年数回伊豆へ行っていた。
我が家も下賀茂、弓ヶ浜、今井浜、田牛、堂ヶ島など夏といえば伊豆の海というかんじだった。
その西へ行くため、下田から松崎へ抜けていく。(松崎から南、二つ目の集落が雲見)
沼津から南下して修善寺を通る手もあるが、あまりに道が険しく子供が吐いたりしたので、東回りで行くのが普通になっている。
夏は下田付近の135号線沿いはハイヒール履いた女の子でなぜか一杯だ。
それを過ぎると再び山道に入ってゆく。
通過するだけだった下田にはある種期待する部分があったが、行ってみると何もなかった。
温泉は手湯、足湯と至るところにある。しかも無料。
ここもやはり以前行った熱海と同じで、バブル期の商売から抜けきれない。
つぶれたまま放置してあるビルやたてもの。これもおんなじ。
普通に飲める居酒屋でさえなかなかない。
金目鯛しゃぶしゃぶ専門、海女小屋新鮮魚料理、サザエ壺焼1800円。
しかたないので地元の漁師が通う食堂を見つけ、そこで朝メシ、晩は飲みながらと毎日そこしか行かなかった。
しかも定食700円という良心的値段、そこの女将さんの手際の良さもあっていっぺんで気に入った。
港にも何軒か食堂らしき店があるが営業してなかった。
事前にジャズ関係の店も調べていたが、たいがいの店はつぶれていた。何軒かはやっていたがあまり足が向かなかった。
フリージャズと詩の朗読、或いはダンスとフリージャズなどはただでも疲れているのに、余計に疲れると判断。
仕事がハードだったこともあり街をあまりうろつかなかった。
あるのは、幕末のエピソードくらいで、それ以前とそれ以後がない。
ある種下田に持っていたイメージが大きくくずれた。
司馬遼太郎にはまっていた時代に下田へ対する印象が強く刻まれ、勝手にふくらましていたのか。
唐人お吉の墓、黒船、坂本竜馬吉田松陰、ペリー通り、ハリスの足湯、おしまい。