体罰

今この問題が大きく報道されている。
大阪桜宮高校のバスケ部のキャプテンの自殺に始まり、今は日本女子柔道の監督。
暴力では何も解決しない。
私は妻にも息子にも手を挙げたことは一度もない。
私のこの手に人を殴る時のいやな感触がのこっているからだ。
やんちゃな子供時代にけんかをした、しかし7才年上の兄と連日取っ組み合いをしていた私は、同級生は相手ではなかった。
中学時代も越境通学していた水泳部員が、やくざまがいの因縁をつけてきた。
怖かった、びびりまくった、しかしこっちには何も悪い所はない。
闘った、その時だ、手のなんとも言えない感触が残った。
その後、その越境通学組ともうまくつきあえるようになった。
がしかし、一度味わった暗い高圧的ないやな感覚は消えることはなかった。
このパワハラについて、二人のスポーツマンの言葉が印象的だ。
一人は先代大関貴ノ花、彼は個人的にも子供のころから知っていて、駄菓子屋で出くわすと、ひろし元気か?と声をかけてくれたりした。
彼のおじさんは初代横綱若乃花花籠部屋から独立して、二子山部屋を作り近所に越してきた。(中学の裏門からすぐのところ)
貴ノ花は4学年上で、当時水泳のバタフライで中学記録を持っていた。
私小6の夏、水飢饉があり小学校のプールはその夏休み。
しかも都大会に出場するということもあり、中学のプールで練習させてもらった。
そこに貴ノ花が居、25メートルプールを3、4掻きで泳いでいた。そこでも声をかけてくれた。
みんなのヒーローだった。すっげーナー。
そんな彼も中学卒業と同時に角界いりした。
その後も高校時代も授業さぼって青梅街道沿いのブルーという喫茶店へモーニングサービスを食べに行くと、朝稽古が終わった輪島と二人で現れたりして、何度か、手をつけないで残ったゆで卵をもらったりもした。
前説がながくなったが、その貴乃花が一番いやだったのは、理不尽ないじめ、暴力だったと話した。
顔を土俵の砂に押しつけられぐりぐりとこすられる。
竹刀で殴られる。
それは叔父という存在があったからよけいに激しくなったのかもしれない。
彼の得意だった水泳は殴られることもなく、日本一になったのだから、余計に強く感じたのだろう。
もう一人は桑田真澄だ。
いじめが数年前に話題になった時、子供たちへという語りかけで、新聞に寄稿していた。
桑田はいう。
もし君のいる野球チームでいじめや、暴力があったとしたらすぐにそのチームをやめなさい。
ほかの野球チームへ行きなさい。
どこでも君の好きな野球はできる。
殴られたり、いじめられたりしなくても、野球は上手になる。
だからすぐに今のチームをやめなさい。
この二人は少し世代が違うが、いまだにおんなじことがおこなわれている。
私はCDにもいれたCHILD SOULDERでも歌っている。
こちらは民族紛争を扱った曲だが。
抜粋、”悲しみの涙、終わらない争い、憎しみと怒り、繰り返す戦い”。
報復の連鎖、終わらない。
だんだんエスカレートしていく。
スポーツにおける暴力は一方的だ、戦時中の陸軍のようだ。
MUGEN ライブに来てくれた高校時代の友人たちは、俺たちなら、やられたら確実にやり返していただろうと。
だから暴力ではなにも解決できない。
相手が納得するまで教えるのには、教える側に忍耐と根気が必要になってくる。
しかし時間がかかっても、会得したときの喜びは大きい。
今でも野球グランドに一礼する武士道、皇国的な指導は変わらない。
名門高校野球部の監督などは、まさに天皇陛下のようである。
いつ何時監督がグランドへ現れても、掛け声とともに10秒間監督に向かってお辞儀をし続ける。
かつて戸塚ヨットスクールでやはり子供が死んだ。
学校長の戸塚は逮捕された。
しかし親たちは戸塚ヨットスクールを再開してまた、スパルタで教育してほしいと。
教育しなければいけないのは、その親たちのほうだ。
暴力では何も解決できない。
そのことを教えるのにげんこつはいらない。
叩いてしつけるのは犬だ。
私は犬でさえ叩くのはいやだ、だから犬も飼わない。