中学同期会

中学の同期会に行ってきた。
驚きました、同期会じゃなくて敬老会に来てしまったのかと。
これはさる有名歌手の持ちネタ。
今まで一回も出たことがなかった。
興味もなかった。
だから45年ぶりとなった。
これまで後ろを振り返ったことがなかった。
今も今が一番だと考えている。
ではなぜ出席?たまたま銀座のライブに来てくれた何人かの幼馴染みと約束したから。
そういうといやいやみたいだけど、あえて今回は参加してみたくなった。
このブログにも以前書いた、放送陸上のリレーメンバーのうち三人そろった。
ずいぶんと思い出話しをした。
自然と熱を帯びてきて、話が尽きない。
いまだに杉並に住んでいる人も多く、聞くと同じところだよと、えっあそこなの?よく遊んだじゃない。
そんな会話からどんどん話がはずむ、俺は本当にいままでも周りを見てないんだとつくずく感じる。
いつも飲みすぎて誰かの家に泊めてもらっているというK君。
今は小平にいるというN君、二人とも成績優秀な品行方正なまじめ君だったが、今は物わかりのいい、ちゃんとしたおじさんだ。
最近は疎遠になっているシンチャンは永福町に何億かの豪邸を建てたと聞いた。
相変わらずテニスに興じるY君は今日もテニスの試合してきたと、奴も高校まで一緒。
ついつい男だけとしか話せないでいる。
一緒に近所の中学に殴りこみにいったよな、といわれても、俺はそんなことした?
いつも中心にいたよ。あっそう。爆笑。そんなだ。
皆は2次会に行き、私はそのあと個人的な飲み会があったのでそこでわかれた。
あいつ死んだよ。
そんな話も当たり前になった。
おもえば年初めの弘太郎の死から始まった今年もあと少し。
その通夜にきてくれたM女史もいた、彼女もまた高校までおなじだった。
60人ぐらいの人が笑顔で二次会へ行くのを見届けて、迷路のような地下街を駅に向かって歩いた。
この前日偶然にも弘太郎の連れ合いから電話があり阿佐ヶ谷フレンズのCDがあれば持っておきたいと。
同期会行く前に発送した。そして阿佐ヶ谷にも久しぶりで行った。
そのCD制作の主催した矢野氏とも久しぶりに飲んできた。