ポピュラリティー 考 11

東京倶楽部、MUGEN(昨日)とJAZZ LIVEも終了。
たくさんのお客さん、足元悪い中わざわざのお越しありがとうございました。
またみなさんに楽しんでもらえるように頑張ります。
来月もよろしくです。
先日私の女房が村上春樹がシダーウォルトンについて書いているけど読んでみる?
その本は”意味がなければスウィングはない”という文庫本で音楽だけについて書いている。
DON'T MEAN A THINGというジャズの曲名をもじった表題。
(村上氏はその昔からBEATLESのNORWEGIAN WOODをそのまま使って日本語でノルウェーの森という大ヒット作品を書いたりしている。)
その第一番目にピアニスト、シダーウォルトンについて、思い入れも含めて実に詳細に書いている。
私の一番よく聞くJAZZ PIANISTだ。そのシダーウォルトンがプレイするレイブラウン、ミルトジャクソンの双頭コンボの東京ライブを聴きながら私の感じるシダーウォルトンについて、妻に説明したことがある。
それを覚えていた彼女はシダーウォルトンについてほとんど同じことを村上春樹が書いていると、教えてくれた。
シダーウォルトンは輝かしい経歴をもっている、JJ JOHNSON、ART FARMERBENNY GOLSON、そしてART BRAKEY&JAZZ MESSENGERS超有名メジャーバンドを渡り歩いている。
村上は言う、たとえどんなバンドに入ろうと、この人の演奏は一貫して世間の注目をひかなかった。
その後レイブラウンの求めでドラムのエルビンジョーンズとのトリオでサムシングフォーレスターというえぐいアルバムを残している。
ここでは二人の大御所を引っ張り、全員がバトルを繰り返しリズムがややあやふやになる時などは、ハイみんなこっちですと、リズムを明確にしそして突っ張る。とても強い芯のある演奏を繰り広げている。
年代別、年表的解釈は本に任せ、私は圧倒的にシダーウォルトンのタイムセンスに驚かされる。
この一点は私だけの理解である。
つまり、シダーウォルトンは小節(バー)を数小節にわたって長いセンテンスのフレーズをよく弾く。
それはもちろんスピード、スウィングを伴っている。
つまり譜面上の記譜では解決できない、息、どうしてもこういう風にやりたいという意思が手からピアノに伝わる、その瞬間ウっと低い声が出てしまうほどの心地よさがある。
一拍とか一小節とかでのスウィング感とは違う、言語的表現に近いかもしれない。
ミルトジャクソンの割り切れる数学的リズムに対し絵画的というか割り切れないリズム、それがシダーウォルトンの真骨頂である。
物凄い勢いで泳ぎ始めスピードを上げどんどん行く、が一転息継ぎをしながら泳法を替えてしまうという感じだろうか。
しかもこの三人はリズムが真っ黒だ、これだけ黒人臭がするサウンドはジャズではめずらしい。
村上氏は楽器を演奏するのだろうか?
かなり専門的なところまで掘り下げている。
スウィング、タッチ、フレージングなどについてもかなり理解度が高い。
私のまわりにもいまだに一人いる。まるでJAZZ MUSICIANのような、しかもアメリカのMUSICIANのような高いレベルでジャズを理解している。
しかも聞くという行為だけで相当なところまで読み取っている。
シダーウォルトンは人前でひけらかすプレイをしてこなかったからこそ、長くきかれ、あちこちで呼ばれ、いまだに愛されているのかもしれない。
シダーウォルトンはその時代時代の代表ピアニストに比べれば知名度は確かに低い。
オスカーピーターソン、ビルエバンス、ウィントンケリー、ハービーハンコック、チックコリア、キースジャレット、などのピアニストは名前を聞いただけでサウンドまで想像出来てしまう。
つまりわかったようなつもりになってしまう。
それは食う前にすでに味がわかって、しまうような感じ。
シダーウォルトンは何回でも聞ける、そして発見がある。
ベーシストにも実は一人いる。
ジャズ歴代ベーシストの超有名処のすぐ下、といったところだろうか。
ジミーブラントン、オスカーぺティフォード、ポールチェンバース、レイブラウン、スコットラファロ、ロンカーター、などの綺羅星からは少し奥まっている。
ソニーロリンズの出世作サキソフォンコロッサスでもベースを弾いている、ダグワトキンスだ。
この時代にあって音色、ランニング、スウィング感、フレージングどれをとってもすばらしい。
なんといってもその弦がしなっているであろうストロングなタッチはあこがれである。
(実はそれ自体もコントロール出来てしまっているのだが)
上記の超有名ベーシスト達はセッションの数がとてつもなく多い。
従って時間、資金などで不完全な演奏も(駄作)聴くことになる。
だがダグワトキンスは今でも聞けるのだ。
ベースにとって私が必須条件としている、音色、ビッグビート、ポピュラリティー、すべて兼ね備えている。
私が生まれた頃の音源なのに、実にソウルフルな演奏、音、バランス、空気感。
この時代(1950年代)ほとんどのセッションに顔をだしているのは、ポールチェンバースだ。
彼には駄作が少ない、が少し聞いただけでそれとわかるサウンドには、ゴメンごちそうさま、と言うことだってあるだろう。
実は私にはもう一人心惹かれるベーシストがいる。
ジョージムラツである。
彼も超有名と言うほどではない。オスカーピーターソン、サドメル楽団、トミーフラナガン(エルビンとのトリオ、エクリプスは愛聴盤だった)
ローランドハナ、スタンゲッツなどで仕事していた。
チェコ生まれながら実に黒っぽいリズムでウォーキングベースを弾く。
そしてソロはとてもよく歌う、メロディアスなフレーズで思わずキュンとなる。
野蛮さも持ち合わせている、クラッシックできたえたテクニックは完璧、弓ももちろん。
時折見せる白人ぽさもいい。
そして何より、手が届きそうな(実は届きっこない)鍛えればなんとかなるかもしれない、という幻想を持たせてくれる。
天才的絶対無理!同じ人間であるはずがない的、そいう絶望感からはのがれさせてくれる。
しばしベースファンにしてくれる、そんなベーシストである。