ブラジル フェスティバル

昨日ブラジルフェスティバルに行ってきた。
代々木公園のNHK広場側。
通りの反対側は広く美しいただの公園。
ここはたしか青山練兵場だったところだ。
戦後進駐軍の宿舎、東京オリンピックの選手村、そして現在は美しい公園。
肉の焼ける匂いと煙の中、むせかえるような空気。
カポエイラ、サンバチーム、出店などをビール片手にながめる。
妻のジム仲間はみなブラジル人気質でブラジル大好きグループ。
そこにたまにはと私が合流することになった。
カポエイラのグループは私の姪の旦那が取り仕切る大きな一団だ。
姪は上智大でポルトガル語を専攻していた。
たぶんそのポルトガル語続きで彼と一緒になったんだろうと思う。
南米北米あわせてポルトガル語はブラジルだけだ。
黒人が南アメリカ大陸に奴隷として連れられてきて、あまり表に出ずに発達した武闘系舞踏。
昨日聞いて分析したところでは、かなり原初的2ビートのリズムとペンタトニックの簡単なメロディーでコール&レスポンスが行われる中で、低い姿勢で格闘技系舞踏が逆立ち風で行われ、入れ替わり立ち替わりどんどん演者がかわっていく。
というまさに原初的雰囲気をもつ。
楽器も原始的なアタバキ(コンガのような形の1本のハンドドラム)ビリンバゥ数種(1弦瓢箪付き)アゴゴ、パンディーロで行われていた。
サンバの方では楽器がどんどん開発されて、大きな音が出る楽器にとって替わり、当初使われていたパンディーロなどは、行進中音が聞こえないために使われなくなったらしい。ダンスもどんどん変化していったらしい。
サッカーでもおなじみのスルド、カイシャ、などはそれ単体でも、物凄く大きい音がする。
リオのカーニバルなどの一大イベントでは毎年億単位の金が動く。
パレードで優勝すれば億単位の金がはいる。
サンバはどんどん変わり、カポエイラは変わらない素朴さが再認識されて今人気があるのかもしれない。
ただ日本的リズムになってしまっているのは、気になるのは私だけか?
リズムが平板なのだ、躍動しない8ビートに聞こえてしまう。
これが黒人独特の野蛮さと野性味が感じられるリズムであれば、もっと楽しめた。
あの舞踏をマスターするより大変なことかもしれないが。
イカーに音響設備を積み込みDJをする人、大音量で50’SのR&Rを流しながらTWISTを踊るカップル、私と同年代?
この時はビルヘイリーのROCK AROUND THE CLOCK が大音量で流れていてたぶん2回目のGT ソロが聞こえた、50’S恐るべし。
この解放感、野蛮さ、躍動感どうですか、白人に初めて受け入れられたR&R.
さいごはPRETA GIL,というジルベルト ジルの愛嬢がメインステージへ登場。
大きな体に大きな声、歌のリズムが非常にいい。
GTもKEYBOADも達者だ、どうやらベースのおじさんがバンマスらしい、ドラムの若い衆はスネア鳴らすタイミングがおそい、スナップを生かさないとビート感はでない、
ものすごい人、人、人、しかもみんな一緒に歌う歌がなんと多いことか。
まわりのブラジル人の多くは飲み且つ踊り且つ歌い且つ抱き合う。
むせかえるような空気に後ろ髪をひかれつつ、妻を誘って帰った。
なぜか?
それは今日の銀座MUGENのライブのことが頭から離れないためだ。
ブラジル人となってそのまま朝まで遊ぶことも頭を一瞬よぎったが、帰宅に成功。
さあ、今晩も楽しく過ごせるようガンバ。