ポピュラリティ考 1

民族音楽レベルでは世界中の音楽を大体把握しているつもり。
アフリカで人類が誕生し地球上に広がっていく過程でそれぞれの言語と文化に根差し音楽が出来た。
アメリカ大陸発見後の奴隷取引まではアフリカ黒人は世界中に広がってはいなかった。
音楽上の移動は。
東回りではアフリカからアラブ、トルコ、ペルシャ、インド、モンゴル、中国、朝鮮、沖縄、日本。
ここまでに一体どれくらいの数の言語が存在するのだろう。
俗にウラルアルタイ語族と分類されているがトルコ人とCOMUNICATEできるのだろうか。
アフリカからヨーロッパはラテン諸国から北欧、イギリス、アイルランド、ロシアまで。
ドレミファソラシドはイタリアで奇跡のように誕生した。
アフリカはブルーノート(今は説明しない)を含む変則音階、(ドレミからみて)アラブ、トルコ、ペルシャあたりもあの独特の音階。
ここにもブルーノートのような半音移動する音がある。
インドに至っては半音の半分まである。
人は遠くの人に伝達する時、おーいと呼ぶ、こらは2音である、あのさーと伝えはじめは3音、よく民族音楽は5音階であるという。
ペンタトニックスケール、例えば沖縄民謡、例えば蛍の光(曲名)、ブルーススケール、韓国からきた演歌でおなじみの、ヨナ抜き(これはいわゆるドレミソラ)など重複するスケールもあるが使われ方はだいぶ違う。
千昌夫北国の春蛍の光では受ける印象はかなり違う。
使われているスケールは同じだ。
日本まで来るには仏教もからみインド、中国で発達した唱名などもからみ複雑である。
私の経験ではちゃんと修行したお坊さんのお経は実に複雑なスケールになっている。
簡単にいうとマイナースケールのラシドレミファソラのファの音がNATURARUだったりシャープしたりする。
これを意識的にコントロールしている。しかもボン字、サンスクリット語である。
しかも音をスライドさせたり、装飾音をつけたりとかなり抽象的な音列配置になっている。
あの分厚いお経本すべてに音階が付いている。尚且つ表現の抽象度が高い。
これだけでも大変なことだ。
しかも日本にはまだ能や文楽、歌舞伎など難解な邦楽がある。
その楽器も音程を正確に出すというよりは幽霊が出るような音をだすためにあるような音がする。
(横笛、笙、文楽の三味線など、)
今ではワンフレーズが何秒もかかる悠久の音楽は時代には合わないが、葬儀でお寺で唱名を聞くのは嫌いではない。
この他には小唄、端唄、なども、坂本竜馬はあのよさこい節のような音階で自ら三味線を弾き即興で歌ったらしい。
私がまだ化学メーカーに勤めていた頃新橋あたりには三味線の流しがいたが、今はどうなんだろう。