ポピュラリティー 考 2

そんなしっとり落ち着いた邦楽とは全く違う音と出会った。
小学6年、ビートルズの抱きしめたいという曲だ。I WANNA HOLD YOUR HAND!
それまでも家ではファンキージャズブームでアートブレイキー、ロスインディオスタバハラス(シャボン玉ホリデーの最後に植木等がガットギターを抱え弾く真似をする、スターダストあの曲と言えば分るでしょう)その他クラシックあり、ロカビリーあり、ベンチャーズもどっぷり。
グレンミラー、ベニーグッドマン、などもよく聞いていた。
良い子のクラシック、不良のジャズ、ロカビリー、という色分けだった。
当然不良音楽へ没頭。あの時代ジャズがヒットしたんだ。また50’Sなどと言われている、ポニーテールにフレアのスカートでVACATIONなどの歌を歌う、調子のよい音楽が日本のテレビでカバーされていた。ザ ヒットパレード
司会はザ ピーナッツじゃなかったか。演奏はスマイリー小原とスカイライナーズ
その後スマイリー小原さんと仕事するとは夢にも思っていなかった。

お年玉で初めて自分でBEATLESのLPレコード、” FOR SALE”を買った。
部活を終え学校から帰り毎日聞いて、歌った。I'M DOWN。
中学ではTOM HAS A BOOK,SUZIE HAS A NOTE,とやっている時、私はCLOSE YOUR EYES AND I’LL KISS YOUなどと歌っていたのだ。
音楽にも恋愛にもあこがれて。
その後も不良音楽にどっぷりつかり、気がつくとアメリカンハードロックを経て、アメリカ黒人音楽へと辿り着いた。
アフリカ黒人が奴隷として南北アメリカに売られ、それぞれの土地で融合しながら黒人音楽を生きてる証として根付かせていった。
アメリカ合衆国だけでもブルースが生まれジャズが出来ロカビリーが起こりリズム&ブルースがあり教会へ行けるようになってゴスペルができ((順不同)ミシシッピーを行き交う船上ではショウが生まれ、南北の交流によってNEW ORLEANSあたりのMUSICIANが北へ行くようになり、ますます黒人音楽が発展していく。
私が魅かれたのは1950年代以降のブルース、リズム&ブルースである。
この時代楽器、録音機材、周辺機器などが急速に進化していった。
(50年代に録音されたジャズのレコードはほとんどがいい音で録れている。)
MUSICIAN の腕はもちろん録音技師の耳と、小さい音の楽器からマイクに近く、ラッパなどの大きな音の楽器はマイクから離れて位置取りをしている。COUNT BASIEとBILLY HORIDAYのビデオで確認したことがある。
アンサンブルのノウハウがちゃんとあったのだ。
数多のレコード会社から数多のアーティストが出、さまざまなスタイルの音楽ができつつあった。
アメリカ人は大きなキャデラックのオープンカーに乗り、ブロンドの彼女を連れ、いかした音楽を流し、人生を謳歌しているようにみえていた。