1Q84

遅ればせながら1Q84 を読んだ。
村上春樹の出版前から大量の予約で話題になった本だ。
まわりには村上が嫌いという人もかなりいる。
私もここ10年ぐらいだろうか。
流行作家、人気作家は信用できないなどとも思っていたかもしれない。
そういう意味ではただ一人別格は司馬遼太郎だけであった。
彼の書いたたぶんほとんどの本は(文庫になったもの)読んだのではないだろうか。
音楽或いはベースという楽器でいえば、トーン、ピッチ、リズム、フィルイン、フレーズの歌い方、などの基本的な表現の部分がクリアーできていれば、私はたいがいの音楽を日常的に聞くことが出来る。
そして時を経ても又聞きたくなるような音楽。
そして狂気と純粋さが同時にあれば完璧なのだ。
私にとっては、それが司馬であり村上である。
長編における物語の構築、計算された展開、とっておきのアイテムとしての人々、それらのパーツを最後に向けて大きなパズルの画面に埋めていく速度やよく練られたアイデアが、一気に読んでしまいたくなるようにしむけられている。
文章力、展開力、着地地点の結末にはほとんど人の悪さ(村上春樹のこと)を感じない。
最悪の結末には絶対しないであろうという、暗黙の安心感はあるが。
この短期間に文庫で6冊、ページでいえば2151ページ。
こんな長い物を読んでしまった。
実は旅行って帰ってくると、熱が出て悪寒がして、布団の中という状態がかれこれひと月も続いている。
従って何年かぶりの断酒、飲みたくないのだ、いや飲めない、完全な病気。
することがないので、何も出来ないので、読書となる。
それにしても、1Q84、この長さは尋常じゃない。
しかも村上症候群になっていた、もう終わりが見えてくるとそわそわし、次はどうすればいいのか、次には何を読めばいいのかと。
それはさておき。
ギタリストのパットメセニーは若い頃はCD1枚で一曲という発想も実力もなかったが、今ならできる。
と語っているのを、雑誌のインタビューで読んだことがある。
短い曲も大変なのに長くても飽きさせない交響曲を作れないでしょう。
今から悪寒かかえて秋田へ行きます。
本当は明朝早い時間だったのが、大きな台風が来ているので、前乗りになった。
鍋食って熱燗で吹っ飛ばそう。