七夕、阿波踊りも終わる

阿佐ヶ谷の七夕。
仙台に次ぐと、我が御幼少ころからいわれていた。
駅から青梅街道までのパールセンターをさまざまな飾り付けでデコレーション。
お店はこの時とばかり目玉の売り物をそろえて商売に励む。
今ではあまり行かないがたまたま出かけてしまった。
またばかに暑い日で、人もまた大変なことになっていた。
息子がまだ小さかった頃幼馴染みのシンチャンと我が家族ででかけた。
外の混雑を避け顔見知りのおでん屋へ。
なぜおでんかというと、シンチャンとは良く二人で和田堀のプールへ行っていた。
その出口近辺にどういうわけか、おでん屋が出ていた。そこでおでんを買い食いするのが当たり前になった。
そんなわけでおでん屋。
ここのおじさんはオデオン座のまえで屋台で長くやっていた、片腕のひとだ。
明るく商売っ気のない、みんなの人気者だった。
そのおじさんが屋内ではじめたのがこのおでん屋だ。(いまでもあるが、おじさんとは味が全く違う。)
そのおじさんに、息子は”夏はおでんにかぎるねー”
おじさんはよろこんで斜め半分にきった、味のよくしみ込んだこんにゃくをサービスしてくれた。
このおでん屋は不思議なことに時々とんでもない美女にでくわしたりする。
唐十郎さんとこの女優さんらしい。
高円寺の阿波踊りは随分最近になってのことだ。
阿佐ヶ谷は実は戦後歌舞伎町につぐと言われた飲み屋街だった。
駅南から高円寺方面へのびる一番街だ。
いまでも相当な数の飲み屋があるが、あのころは一階がカウンター二階が六畳間というかたちだったらしい。
もちろん上には女がいたわけです。
だから私のおふくろは一番街へは行くな博!わかったか!とよくいわれた。
その一番街を抜けると菊花高校があった。今は石川遼君で有名になった杉並学院ですね。
そんなこんなで夏も終わりそうです。
冷たいもので(飲みすぎ)おなかが壊れ気味です。