ポピュラリティー 考 9

そんなこんなでフォーク&ニューミュージック系の仕事をしながら、音楽の道を探っていた。
暗中模索。いまでもそうかもしれない。
ロック一辺倒からアメリカ黒人音楽(JAZZ R&B BLUES GOSPEL)へと移行し、聞くべき音源、押さえるべきBASSISTS、やるべき事がどんどん増え、しかも粗製乱造がたたってレコードが売れなくなり、音楽業界が急速に変わって、仕事も今までみたいにコンスタントにというわけにはいかなくなっていた。
そんな時、知り合いから10ピースのバンドでベースを探していると情報が入りすぐオーディションへ。
バンド名はデイ&ナイツ、スタンダードのナイト&デイを逆さにしたバンドマン的発想。
まずこのテーマであるナイト&デイの譜面がまったくと言っていいほど弾けなかった。
いわゆる初見、臨時記号がたくさん出てきてテンポ200(1分間)のどこかの有名バンドの手書きのコピー譜面。
おろおろしながら1ステージ終了。
よし!来週からきて、とバンマス、よろしくお願いしますと私。
キャバレーの専属バンドデイ&ナイツの一員へ。
弱った、またしてもやるべきことが増えていった。
当時キャバレーの1ステージ目は客の入りもあまり良くなく、どこの店でもJAZZを多めに演奏していた。
ちゃんとした譜面のアレンジされた書き譜も数多くまたトランペットなどの口休めにリズム隊だけでJAZZを演奏する機会が多かった。
2ステージ目3ステージ目はショーが入り、唄だったり、踊りだったり、ジャグラーだったりヌードだったりした。
このショーの譜面は出演者がその日にもってきてその場で仕事をして持ち帰るというシステムだった。
4ステージ目は酔客のチークダンス用の譜面だったり、ホステスさんのリクエストだったり、最後にGOOD NIGHT(グンナイと言っていた、今でもコード進行を覚えている、良曲)を演奏して終了。
毎日ヘトヘトだった。
実は何も弾けないのじゃないか?
しかし2月も過ぎたころからバンマスが休憩時間に飲みに誘ってくれるようになり、いろんな話を聞かせてくれた。
私は戸惑いながら大切な練習時間である休憩時間をバンマスとのコミュニケーションの時間にあてた。
1000曲はあったろうか、書かれた譜面を毎日弾くうちに体系化できてきた。
キャバレーのバンドと言っても南北アメリカのあらゆる音楽を演奏しなくてはならない。
メモ譜ひとつでヘッドアレンジして時間をかけて演奏するスタイルから、180度変わってまったく時間をかけない演奏へと変わった。
そんななかでリズムに関してはいつも気にしていたし、本当のリズムを考えていた。
JAZZ マンボブームになったアフロキューバン、メキシコラテン、タンゴ、サルサ、ダンス音楽のワルツ、ウィンナーズワルツ、サンバ、など
毎日演奏することによってなるほどと思う場面がいくつもあった。
世界中でヒットした曲には演奏する側にも幸福感をあたえた。