ポピュラリティー  考3

中学時代はBEATLES ROLLING STONES、MONKEYS(MONKEYSは日本のテレビでも毎週放映されていた)。
それと、テレビでは、ライフルマン、ララミー牧場、ローハイド、隔週土曜日のディズ二ー、(プロレスと交互に放映)コンバット、名犬ラッシー、ベンケーシー、など全部がアメリカを向いていて、あこがれていた。
中学2年の1学期中間テスト時期BEATLESが来日した。
武道館でのライブは放映されテレビに向かって写真を撮りまくった。
前座でドリフターズがギャグをやるのを見て首をかしげた思いがする。(その後SWING FACEでもGEY STARSでも仕事した、つい最近でも”こぶ茶バンド”でも仕事した。今はもちろん首はかしげない)
この頃ギターに初めて触れた。テレビでアニマルズの日本公演で朝日のあたる家、の演奏を見て、興味がわいてきた。
Amというコードを教わりそれを押さえただけであのイントロが弾けるとテッショウが教えてくれた。
(テッショウは今でもよくライブに来てくれる)
それからギターの虜になり、その秋の文化祭に5番ギターとして参加。
曲はピーターポール&マリーの500マイル、D、G、Aという3コードでできている。
はじめて人前でプレイした瞬間だ。
その後もギターの練習は続き、2年生のクラスの謝恩会で福与と2二人でクラスメートの前でBEATLESの曲を何曲か演奏した。
その時進行役は学級委員長の小川さん、私は副委員長だった、その彼女も今でもライブに来てくれている。
3年最後の謝恩会では体育館で4人バンドで演奏した。リードギター友利、ベースギター福与、ドラムス高橋、そして私がギターとボーカル
。たしか友利のうちで練習した、彼は友利建設の御曹司で、発売sれたばっかりのアライダイヤモンドのギターを持っていた。どのくらい練習したのかよくおぼえていないが楽しかったんだろうと想像できる。
BEATLES東京公演でのメニューを出来るだけやったんだろう。
ROCK&ROLL MUSIC、SHE'S A WOMAN、NOWHERE MAN、YESTERDAY,I'M DOWN,I FEEL FINE,IF I NEEDED SOMEONE
PAPERBACK WRITER,DAYTRIPPERはまだ出来なかった。
特にNOWHER MANのハーモニーがきまった時などは、飛び上らんばかりの楽しさを覚えた。
この頃はまったくの自己満足だろうから、ひどい演奏がったろう、しかしながら評判にはなっていたし、それなりに鼻高くしていた。
先輩達もよく見に来てくれていた。