大久保あたり

大久保、新大久保あたりから職安通りとを結ぶ通りは以前は韓流ブームで歩くのも大変だった。
が、今日は比較的すいていた。
2,3年前までは日本人のおばさまで一杯だった。
東京でありながらどこかのアジアの猥雑な街といった感じだった。
たしかにエネルギーに溢れていてここだけはシャッターとは無縁な街だった。
大久保通りは自分のペースで歩道を歩けなかった。
急ぐ時は車道を歩いていた。
しかもウッドベースの修理の時とかは地獄だった。
駐車場に車を入れるのも大変なのに、そこから楽器屋まで行くのに大汗かく始末。
相変わらずあまり日本語は聞かれないが少しだけ落ち着いた感じがした。
大久保通りにあるパチンコ屋には昔からハングル、漢字で注意書きがしてあったが何軒かはなくなっていた。 
ここ大久保は高校入試で海城高校まで来た。
15の春。
どれくらい前だよっと。
やはり雪だった。
入試といえば雪なのだ。
ロッテの先の行き止まりまで行き雪の中ワイシャツ姿で試験に向かっていた。
海城高校から防衛大へというのがエリートコースだった。
私もそのつもりだった。
格通知をもらったが杉並高校へと進んだ。
それで今日がある。
そしていまだにその頃の友人とまるで青春時代のような付き合いがある。
大久保、新大久保は楽器屋が昔から多い。
管楽器屋も多い、弦楽器屋も多い。
そして今やお世話になることのおおい黒沢楽器ベースセンターもある。
楽器問屋という街だったが新宿に比べて昔は家賃とか安かったんだろう。
今は世界中の食いもんやと市場が色とりどりで商いしてる。