HIPS考

先日渋沢にイタリア女の部品の修理を頼んだ時にHIPSの話になり、音源は持っていないと聞いた。
ので、さっそくPCでコピーして渡した。
その時に暫らくぶりで聞き返した。
そもそもHIPSというバンドは40才目前に弘太郎の発案、メンバー選定で始まった。
最終的には私の力不足と疲れから解散した。
その時にはもっともっと音楽をと思っていた。
弘太郎にも自分で言い出したんだからもっと、と感じていた。
久しぶりに聞いた第一感は、こんな手間暇かかることをよくやっていたなーと。
そして弘太郎は充分に音楽していた、さまざまなアイデアを詰め込みさまざまな手法を使いよく弾いてくれていた。
私はあの世に行ってから彼にまず詫びなければならない、充分弾いていたよと。
もう少し我慢強くしたたかに長時間かかわっていればちゃんとした形になっていたかもしれない。
ロックぽさ、解放感、INSTぽさコーラスなどバンドぽさがいけてる。
少し毛の色が違うバンドの誕生だった。
しかしもう20年以上前の話だ。
いまだにMUSICIANは私とDRの竹内君だけだ。
パーカッションの三島氏は尾道、キーボードの斎藤氏は弘前でそれぞれ違う人生を送っている。
20年前の演奏がよく聞こえるのは今の私が当時の私より質量ともに落ちているからかもしれない。
などと考えたりもする。
いやいやちゃんと音楽をずっと続けてきているんだよと、頭の中で誰かが言う。
そうだそうだ。